隣町珈琲と近くの古民家(後編)〜喪失を乗り越えるとき

前回の古民家の話の続きです。

角のお茶屋の娘さん2人とひとしきり古民家の解体を残念がった後、私はGW中に家の写真を撮らせてもらう約束をして隣町珈琲に戻った。戻ったと言ってもたった50メートルほどの距離。いまだ動揺は収まらず、口から先に生まれたような私の口はさらに前のめりになり、店に入るなり、妙に高いテンションで店長に事の次第を告げた。

店長「え~~~。そうだったんですね~。」

思いも寄らない内容に驚きの方が大きいのか、がっかりするというより、単純に驚いた!という感じのリアクション。

私「縁がなかったってことかねえ…」
店長「そうですかねえ…。ホントに残念ですよね…。
   でもね、実は他にも気になっている物件があるんですっ!」

他にも気になっている物件があるなんて話は初めて聞いた。いつも落ち着いている店長も少しテンションが高くなり、口調も興奮気味でいつもより早口になっている。

数日前に「解体という事実」を前にして、みな意気消沈していた。しかし、「解体という事実」は変わらずとも、先方も同じような思いを抱いていたというもうひとつの「事実」を知ったことは、口惜しさも倍増させた一方で、新たな同志を得たような浮き立った気分をそこに添えた。

そして、皮肉ではあるが、大きな失敗をしてしまったという強い後悔がアドレナリンを放出させ、次こそは!というやる気のようなものを、一時的にではあれ、芽生えさせた気がする。

このまま、お茶屋さんの家主に会うこともなく、ただこの古民家が解体される様子を眺めるだけだったとしたら、新たな隣町珈琲を作って行こうという前向きな気分はその解体の進行に合わせてしぼんで行ったのではないかと思う。ここで、こうして志を同じくする家主に出会い、互いに落胆しつつも、互いにその運命を受け入れたことで、何かそこから新しいものが芽生えてくる予感を手に入れた気がした。

自分たちの力不足でこれだけすばらしい古民家を守れなかったことの代償に何を成せば世界は許してくれるだろうか。家の持ち主でもない私がそこまで責任を感じる事はないのかもしれないが、古いものを捨てて、その良さを受け継ぎ、さらに新しい時代を作って行くということは、こうした喪失の痛みを感じながら、自分たちは今何をやるべきかを真剣に考えることなのではないだろうか。喪失の痛みがあるからこそ、それ以上のものを作って行こうと思える。この古民家の喪失を今後にどう活かせるかはまだわからない。けれど、この古民家に出会えたことで、揺れ動いた心の軌跡はちゃんと刻んでおきたい。

そして、そのショックな出来事から1時間もしないうちに、私の知人が隣町珈琲を訪ねて来た。一度、人の紹介で一緒に町歩きをしたことのあるシンガーの女性。以来、直接合う事は無かったが、FACEBOOKで繋がり、一度隣町珈琲を訪ねたいと言っていた。かつてはジャズを中心に、今はジャズに拘らず、自ら作った歌も歌っている。これからは文章も書きたいそうで、隣町珈琲で行う平川さんの文章教室にも興味を持ってくれた。
そんな彼女にこの古民家の話をしたら、是非中を見てみたいという。

するとそこに、また別の私の友人がやって来た。会社員だがプライベートでアート活動をしている男性。自作のキャラクターがあって、そのキャラクターをいろんなシチュエーションの中に置いて撮影し、作品を作る。今日はその作品を展示させてもらおうと考えていたオープンスペースの古民家を訪ねたのだが、近々その古民家の運営者が変わり、個展はやれないかもしれない旨を伝えられ、ならばと、記念にその家の各所に自らのキャラクターを置いて、撮影を行って来たという。

なんと、その古民家を後にして、隣町珈琲で出会ったのはまた古民家。これもなにかの縁。運命ではないか。彼もそこにピンと来ていたかもしれないが、それより先に私のほうがおせっかいにも口火を切った。

「近くの古民家が取り壊されるので、そこでも写真撮ったらいいんじゃないですか?古民家繋がりって感じで。」

すると、その友人曰く。
「実は次の個展用に考えていた仮テーマがあったんですが、なぜかそれに乗れなかったんですよ。その古民家で写真を撮るのいいですね。」

というわけで、古民家を見たい私とシンガーとアーティストは再び、お茶屋さんへ向かった。

お茶屋の娘さんたちは、また新たな見学者がやって来たことにちょっと驚いてはいたけれど、こころよく上に上げてくれた。片付け真っ最中の部屋の混乱を言い訳されてはいたが、戦後すぐに建てられ70年近くここで商売していたのだから、モノが溢れるのは当然なのである。

私たち3人はずかずかと家に上がり込み、部屋を見せてもらった。
例の小上がりの玄関を上がり、脇にある急な階段を上って2階にあがる。階段の直ぐ上には裸電球のぶら下がった小さな部屋。作り付けの洋服箪笥は昭和初期のモダンな雰囲気。停まっている時計もこれ動いていたら、インテリアとして涎を垂らす人はいるだろうなというデザイン。

奥には足踏みミシンがある。小さな和室の隣、襖で隔てた8畳間は床の間に違い棚、襖の上の欄間も美しい。外してもって帰りたいが外し方がわからない。ガラス障子の外側には雨戸があって、その隙間から外光が差し込み白い障子を照らす。部屋の中にはおばあちゃんが集めていたのだろうか、たくさんの小さな人形が並んでいる。日本人形やらこけしやら木彫りやら。

「みうらじゅんにあげればいいのにね。もう持ってるか…。」

先日、みうらじゅん展で見た展示が頭に浮かんだ。かつては日常であった事をどんどん非日常化、ネタ化することで、私たち現代人は平凡な日々の暮らしに刺激を与え、なんとか生きて来た。ネタ化するということは客観化するという事でもあるから、そのものの本質が見えてくることもあったが、それは別の角度から見ないと、もうつまらないということでもある。おばあちゃんが集めたのであろうずらずら並んだ人形の姿からは、別の見方を発見しなくても十分楽しめた時代の「モノ」の佇まいが感じられた。

それにしても、ここのおばあちゃんはなんでも取っておく人だったようで、戦時中の女学校時代の漢文や被服の勉強ノートまで取ってあった。女学校三年二組とおばあちゃんの名まえの書き込みがある雑誌の発行年は太平洋戦争の始まった年。そんな戦中戦後の日本の暮らしを物語るたくさんの物が、捨てるか残すかの運命を待ちながら古民家の座敷に広げられている。その様は、当初は家の見学に来ただけだったシンガーの女性にもインスピレーションをもたらした。

彼女は裸電球のぶら下がる小さな部屋で自分が歌を歌う場面を撮影したいと言い出した。伴奏してくれるミュージシャンの都合が合えば、連休中に一緒に訪ねて撮影し、それをYOUTUBEにアップしたいという。そして、もちろんこの申し出も快諾された。

私がここの娘さんたちと話をしてから数時間の間に、今回の出来事が隣町珈琲の中を駆け巡って、このところ疲れ気味だった店長のテンションをちょっと上げ、私の2人の友人がこの家と出会い、自分のアート活動へのインスピレーションを得た。それが今後の彼らの活動のなにかのきっかけになると嬉しい。古民家を喪失する痛みが偶然そこに居合わせた人になんらかの種を撒いたと思いたい。

再び隣町珈琲に戻って来た私たちは少し興奮気味だった。
それは、古民家喪失の痛みを和らげたいがための心の防衛反応であったのかもしれないが、抗えない運命にはこうして対処するしか無いのである。そして、喪失のマイナスをプラスに転じるために、私たちは無意識に興奮し、テンションをあげ、次になんとかつなげていこうとしているのだと思う。

私はというと、今回の記憶を残すためにこうしてブログを書いている。これを書くことが次の何かに繋がるのかはわからない。でも、私の友人がこの古民家で歌い、写真を撮ることにしたように、今私にやれること、そしてやっとくべきことは「書くこと」ではないかというインスピレーションが降りて来た。「書くこと」への向かい方が微妙に変わって来た気がしなくも無い。


とはいえ、一方で、この期に及んでもまだなんとかならないかと思っている往生際の悪い自分もいる。解体工事を取り消して、支払う違約金があればなんとかなるんじゃないかとかね。直前キャンセルだと100万円は下らないだろうなとか。例えば鳩山由紀夫さんみたいなお金持ちがポンと1000万くらいくれないだろうかとか。妄想が広がる。

まあ、奇蹟は奇蹟として0.1%くらいの希望は捨てないで、自分の中に芽生えたものを大切に育てて行きたいなーと思って書いていたら、なんと夜が明けそうになっちゃいました。ちゃんと寝ないと身体壊しちゃうわー。反省。
というわけで、古民家の話はまたその後を書こうと思います。

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