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「星の王子さま」読書感想文・追記〜松任谷由実の「ずっとそばに」をふと思い出した

「星の王子さま」の中で描かれた「なつく」という言葉が表す関係について考えていたら、松任谷由実の「ずっとそばに」って歌のフレーズを思い出した。 この歌、「リインカーネーション」という輪廻転生をテーマにしたアルバムに入っていて、原田知世の「時をかける少女」のB面にも収録された曲だ。 「疑うこともなく知り合う人々をともだちと呼べた日々へ」っていうキラーフレーズが印象に残る歌。 大人になると、受験して入った学校での付き合いとか、会社の付き合いとか、趣味の付き合いとか、なんらかの意図をもって入った集団で、なんらかのバックボーンを踏まえた付き合いがほとんどになる。しかし、子供の頃は、ただ近所だったり、クラスが一緒だったりというだけで友達になり、時には家族以上に濃密な時間を過ごす相手が現れたりする。放課後も休日もいっつも一緒。日が暮れるのも忘れて校庭で話し込んだあの子。そういう打算のない関係。 一見、「友情」に見えるこの関係は、見方を変えれば「恋愛」だったりもする。性別は関係ない。友情と恋愛の境目は曖昧だ。「星の王子さま」で「なつく」と表現された関係性はこういうものではないかと思うのだ。 「ずっとそばに」ではこんな内容が歌われる。 生きるスピードや人生の難関は人それぞれ異なる。それを変わってあげることはできないから、君は君らしいフォームでゆっくり泳いで宝物を見つけてきて。そして、つらかったらそっと呼んで、時を超えていくから、ずっとそばにいるから・・・と主人公は心の中でつぶやく。彼女がひとりきりになってもその淋しさに耐えられるのは、君が8月の雨の中、私を裸足で笑わせてくれたり、たなびく夕映えの雲を見ながら私に涙溢れさせてくれた相手だから。 それは子供の頃に、空き地で日の暮れるのも忘れて駆け回った友達や、放課後の西陽射しこむ教室でずっと語り合ったあの子みたいな存在。「星の王子さま」みたいな存在。 私は大人になってもいまだにこういう相手を探している気がする。しかし、「疑うこともなく知り合う人々をともだちと呼べた日々へ」戻り、星の王子さまを見つけることは中々に難しい。だから、いつまで経っても一人なのかもしれないな・・・。 ちなみにこの曲、1993年に「遠い海から来たcoo」ってアニメの主題歌になってて、その原作はあの景山民夫なんだよなあ・・・。人と人や、

夏休み読書感想文「星の王子さま」を読む〜隣町珈琲の本棚から〜

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 西畠清順氏の「星の王子さま」とコラボしたバオバブの苗が販売中止となってちょっとした騒動になっている。先日、隣町珈琲での平川克美&小田嶋隆の「ふたりでお茶を」トークイベントでもこの件が話題になったこともあって、こども食堂のためにお店に置いていた「星の王子さま」(講談社青い鳥文庫・三田誠広・訳)があったなあと思い出し、読んでみることにした。  実は私、「星の王子さま」を読んだことがない。いや、こどもの頃、図書館で借りた気もするが、読んだか読まなかったかさえ判然としない。つまり、内容は全く覚えていない。しかし、これまで、当然のごとくに知っているようなフリをしてきた。音楽にしろ本にしろ、そういうものは多々あるわけだが、「星の王子さま」ってのはなかなかに知らないって言いづらい物件だ。  いつか読まなきゃなあ~と思っていたら、この前、たまたま行きつけの本屋で星の王子さまフェアをやっていたこともあり、こども食堂用を言い訳に、小学校中学年向けのものを一冊購入して隣町珈琲の本棚に並べていた。しかし、なかなか読む時間がなくそのままになっていたのだが、今回のバオバブ騒動を受け、お盆休みにちょっとと思って、本を持ち帰った。  そして、昨日、行きつけのカフェで読み終えた。 この話、こどもたちはどういう風に受け止めるのだろう・・・。 ここまで、冷静に文章を進めてきたが、実は私は動揺している。ここからちょっと文体が変わってしまいそうだ・・・。  書物はその人にとって必要なときにその人の元にやってくる。まさに今この物語を読むために、私はこどもの頃にこの本を開かなかったのだ・・・。そう思わざるを得ないほど、この「星の王子さま」は私の琴線を”弾いた”。琴線というと聞こえはいいが、ちょっと線が震えすぎて、50過ぎた女が、カフェのカウンターで鼻をシュンシュン言わせながら、児童書片手に、目の前の店員の目を盗んで、紙ナプキンで涙をこっそり拭っている・・・。  自分の星に咲いた美しい花と別れ、王子さまは旅に出る。小さな星々で様々な人々と出会い、そして地球にたどり着き、キツネに、そしてぼくと出会う。王子さまが地球にたどり着くまでに出逢う小さな星々の住人は、近代以降の社会、主に資本主義が生んだ人間疎外の様々な形を表現している。例のバオバブはというと、いつの

8月のバー営業〜バーもちょっと仕切り直しです!

8月ももう13日になってしまいました。 隣町珈琲も15日までお盆休みです。 で、今更ですが、8月の火鉢バーについて。 この夏の猛暑に耐えかね、8月はちょっとお休みすることにしました。 今のところ8月25日(土)のみの営業です。 一応、がん細胞を体の中に持ってますし、暑かった7月の経験より、この状況で連日の終電帰りはなかなかにキツイなあというのもありまして、8月は思い切って25日のみの営業とすることにいたしました。経済的には厳しいんです。お客さんが少なくても、1日でも日銭を稼いだほうがいいというのはあるのですが、「しんどい」って感じているまま続けるのは良くないと判断しました。 そもそも、苦境を脱するために、黒革の手帖ばりにバーのママが出来ればって思って始めた火鉢バーでした。その顛末をブログに書くことで、苦難を笑い飛ばしながら突破できないかという思惑で始めましたが、私にその胆力と体力と開き直れるセンスがなかった・・・。残念ながら豪胆なママになりきれなかったということです。 これまでの火鉢カフェの夜版というだけで、淡々と営業を続けた結果、厳しい状況は脱することできず、結局、テレビやウェブの仕事を少し再開することになってしまっております。もちろん、その仕事は仕事で、勉強になることも楽しい部分もありますが、まだ必要な収入を賄える程度にはいたっておらず、火鉢バーの収益がその補填のような形になり始めていたのも、あまりいい傾向とは言えませんでした。 それは「私は本当は何をやりたいのだ」という疑念を再び浮上させました。 20年やってきた「テレビ」という媒体の仕事はやはり嫌いにはなれないのです。もちろん、いま再びやっているディレクターの仕事は体力的にも本格的に大きな番組をやるのは大変だと思います。けれど、企画を立てたり、構成を考えたり、もちろん取材に行くことも、そこで出会う人や事柄にワクワクしたり、心揺さぶられることも多いのです。 テレビや活字メディアの仕事をしながら、バーをサロン的に活用するという思惑も当初からなくはなかったのですが、私がテレビの仕事をほとんどしてなかったために、そういう風にもならず、また、テレビ文化というのはどうも隣町珈琲とはあまり縁も薄くて、なかなかに持ち込むこともできませんでした。まあ、それはひとえに私の力不足なのですが・・・。