徒然〜感謝と不安と後悔と希望ないまぜ in2017

しばらくぶりのブログとなってしまいました。もうクリスマス。あと1週間で新年です。このバーも、今年は26日と27日を残すのみです。

あ、そうそう、31日の夕方から1日の朝にかけて、年越し深夜食堂もやることにしました。電車も走っているので、初詣の行き帰りにお立ち寄りください。

ところで、昨日はクリスマスイブにもかかわらず隣町珈琲で「原木椎茸で忘年会」を開催しました。参加者はクリスマスということもあり少なめでしたが、当日の案内で急遽来てくださった方もあり、みんなで炭火と椎茸を囲んでよいクリスマスイブとなりました。
愛媛県内子町の原木椎茸の炙りのほか、コマ肉とはいえ神戸牛と最高の原木椎茸のすき焼きに、ロールケーキで作った適当ブッシュドノエルきのこの山乗せ。ロールケーキに生クリームとマスカルポーネを混ぜたクリームを塗ったものの他、芯を愛媛県銘菓の餡子のタルトにしたものなど、変なクリスマスケーキを適当につくりました!あー、楽しかった。

しかし、楽しい一方で、予算のかけすぎもあり収益はあまり上がらず、我が暮らしなお楽にならざり。来年からの身の振り方がちょっと心配になってきました。年末を迎えた今の私はなんだか神妙なこころもち。

片付けを終え、スタッフ3人で残りものをいただきながら、今後のことなどを語り合っていたら終電を逃してしまい、結局、気を使ってくれた若者二人も一緒に始発前まで店にとどめおくことになってしまいました。申し訳ない・・・。でも、こうして気遣ってくれるスタッフが周りにいるということは、崖っぷちの私のずいぶんな支えになっているのも確かです。隣町珈琲の店主やスタッフだけでなく、お客さんにも助けられ、今の私は生きています。

今年一年を振り返って思うことは、今年は働き始めてからもっとも収入の少ない崖っぷちの一年であった一方で、多くの人の笑顔に出会えた、穏やかな一年でもあったということです。お金はないけど、いろんな人と知り合い、好意をいただき、そのおかげで心が殺伐とすることも少なく、なんとか年末まで生き延びることができました。そして、しばらくぶりに先日テレビの仕事を一緒にしていた仕事仲間とも会ったりして、結構楽しい話もできたのでした。本当にみなさんありがとうございました。

それにしても憂うべきは収入面です。
当初、黒革の手帳のママのように、今までの自分ではやれなかったような開き直りを見せて営業活動しようと考えたにもかかわらず、その勢いも最初の数週間のみ。やはり私のそんな姿は「イタさ」にしか繋がっていない気もしますし、そもそも性に合わないのだと思い知らされる日々。とあるパーティに出かけ、名刺を配ってる私は、面白いことをやってるどころか、また変なことしてる・・・としか思われてなかったようです。

バーへの反応は今ひとつな一方で、隣町珈琲で始まったこども食堂への参加報告には好意的な反応が連なり、でもこちらはボランティアというジレンマ。ただ、こどもと一緒の時間を過ごすことも、上記のような「多くの笑顔に出会えた」出来事の一つで、今年一年という年を思い出深い年にしてくれました。

あ、でもこう書くと、バーのほうはダメみたいですが、そんなこともありません。数はそんなに多くはありませんが、何度も顔を見せてくださる常連さんもいて、そういうお客さんと顔見知りになりちょっとした会話を交わすようになったことは、ものすごい財産だし、すごく素敵な場を私はいただけてるのだと思います。


ところで、先日、久しぶりに乳がんの超音波検査に行きました。
再発を宣告された時に腫瘍があった場所にはもはや腫瘍はなく、しかし、別のところにちいさな塊ができています。今年の夏に5〜6mmだったそれは今回9mmくらいになっており、そうなっていることは、このところの食生活のひどい乱れ、睡眠不足、窮乏による緊張状態などから考えても予測がついていたのですが、やはり、一瞬は目の前に「死」がちらつきました。とはいえ、最初あった場所の塊は今はない。13年前の治療時に乳腺に残っていた小さながん細胞が、今になって、いろんな場所で復活しては消えしているのではないかと医師はいいます(ただ、切って組織を見てみないと正確なことは言えないそうですが)。つまり、この9mmだって消える可能性はある。まして、このところ生活が乱れていたわけですから。

とはいえ、腫瘍が小さくなった時期、私はかなり食事にお金もかけていましたし、働く時間も短く、歩いたり、歌ったりもしておりました。今は経済的にそれが厳しい状態でもあります。よくなる方法はわかっているのに、なかなかにそれが実行できないジレンマ・・・。しかも、私がやろうとするよくなる方法というのはほぼへらへらと遊んでいるような状態で過ごすことで、苦しい闘病とは無縁の方法。こういうのを人はオカルトと呼び、なかなか理解してもらいづらい。医療費控除もされないものばかりです。

お金ができたら、また以前やっていた整体だの、食事法などやってみようと思います。しかし、できないときはできないときで、絶望するのではなく、体はそれほどヤワではない、前向きな意思があれば状況に合わせて踏ん張ってくれると信じて、日々過ごしたいと思います。これは私の考えですから、こういう考えが誰にも功を奏するかは疑問です。もちろん、功を奏さないかもしれませんから、オススメはできません。


「もうやりたくないことはやらない」今年何度も口にした言葉。
これもひとつの呪いの呪文です。
ガンは必ずしも死の病ではないということを言いながら、自分の命がもう長くはないかもしれないことを前提に物事を考えている。もちろん、いつ交通事故で死ぬかもしれないのですから、それも間違いではないのですが、癌が再発していることを理由に「やりたくないことはやらない」という言葉に縛られて選択肢を狭め、苦しんでいる自分は、なんだか本末転倒で、ただ、運命から逃げているだけかもしれません。当面のお金のために以前のシステムの中に戻ったら、またしばらく時間を無駄にしてしまう。もう私には時間はないのだと、何度も自分に言い聞かせ、できもしないことに挑戦していただけかもしれません。

単に働くのが嫌なだけかもしれません。でも、こんなときくらい働くのが嫌なら働かなくていいといわれてみたい。頭を撫でて、家で寝てていいよと誰かに言ってもらいたい。そんな恥ずかしげもない言葉をついブログという公共の場で吐露してしまうのも、今年一年で触れた人々の優しさに触発されてしまったからかもしれず、今からでも遅くないから、もっとかわいいおばあちゃんになれるよう自分に正直でいたいなと思う年末。

甘える相手を生涯見つけることのできなかった私の人間力というものに疑問を抱けば抱くほど、生命力は削がれます。多分、癌が再発したのも、人生折り返し地点を過ぎてもそんなかたくなな自分のあり方に、自分の細胞が嫌気がさしたのではないかと思います。無意識に死にたいと思ったから、体も死のうとしたのかもしれない。ハタから見れば生きるパワーに溢れているかに見えるおしゃべりな私だけれど、それは行き詰まった無意識の裏返しなのかもしれない。何の根拠もない話、単なる自分の直感です。

病は気から。自分が本当はどう生きたいのか、何が好きなのか、それに気づいて、正直に生きたところで、病気がなくなるとは限りませんが、すくなくとも思い残しは減る。人生なんて後悔だらけだとは思うけれど、やはり後悔が少ない方が健康になれる気はします。


あらためて「やりたいこと」「やりたくないこと」ってわからないと感じています。「やりたいこと」だって、ただ前向きにやればいいというわけでもない。周囲の人や世間との関係性の中で、私のやりたいことが、いろんなバランスを変えて、何かを終わりに導くことだってあるだろうし、逆に周囲を巻き込んで奇跡を起こすことだってあるでしょう。ただ、「やりたくない」と明確に思えることは、あまりやらないほうがいいと思う。

「やらなければならないこと」「やりたいこと」「やれそうなこと」などなどの間で揺れながら、「やれそうなこと」をやっては来たけれど、未だ問題は解決せず。状況は厳しくなるばかり。ただ、直感は希望の光もどこかに感じています。

なんだか徒然しすぎて、脈絡のない感じになってきました。脈絡ないついでにもうひとつ。

ウーマンラッシュアワーの村本のTHE MANZAIの時事ネタが話題で、彼のネットの番組が終了するという。そのネットの番組で癌患者と語る企画をやっていたが、いっしょに「がんとは何か?」を考えてみたいものです。あの熱い感じに巻き込まれることはちょっと怖い気もするけれど、チャッカマンがないと火がつかなくなっている私の心には、そのくらいでちょうど良いのかも・・・。

そろそろハートに火をつけて動き出さねばならないな・・・






コメント

このブログの人気の投稿

久々の投稿です。投稿できずにいた理由。

「皆既月食ナイト」今夜の月も綺麗だね〜

11月21日・おてあげトーク@火鉢バーについて