今週号のアエラに平川さんが出てます〜「その日暮らし」の貧乏人として腹を括れるか

今週号のアエラ「現代の肖像」のページに隣町珈琲オーナーの平川克美さんがとりあげられている。隣町珈琲のお客さんでもあり、平川さんのことを「師匠」と呼ぶ浜田奈美さんの筆によるもの。さすが書くことのプロ。平川さんという人の佇まいが浮き彫りになっている(と思う)。私がここで書きなぐるブログの文章が稚拙で恥ずかしくなって来てしまった。でも書く。



アエラの記事の冒頭で平川さんの次に出る著書のタイトルが紹介されている。
『その日暮らしの経済学』。自らの経営体験をもとにした”破産論”だという。
偶然だけど、まさに現在の私は”その日暮らし”。記事の中にでてくる隣町珈琲に「漂着した面白いヤツ」のうち「ほぼ無職の人生崖っぷち女(50)」とは恥ずかしながら私のことだ。面白いかどうかは別にして、「漂着した」という表現もまことに言い得ている。

ああ、アエラで崖っぷちと書かれたら世間に崖っぷち認定してもらったようなもんだな、と思っていたら、昨日行われたラジオデイズ10周年の記念トークイベント「劣化する言葉、憂鬱な現実」でも、平川さんの話の中に隣町珈琲が登場し、「スタッフは貧乏…」と250人のお客さんにアナウンスされてしまった(名指しはされていないが)。雑誌アエラで「ほぼ無職で人生崖っぷち」と書かれ、トークイベントで「貧乏」と言われ、「その日暮らし」の太鼓判を押されてしまったわけである。

太鼓判どころか、現在のバーの収益では「その日暮らし」さえ怪しい。はやいことなんとかしないと、平川さんのごとく、このブログも”破産論”ってことになりかねない。はやくまとまったお金を安定的にいただける仕事を探したほうがよいのかもしれないが、「崖っぷち」に慣れてしまった私は、もはや常識的な感覚が麻痺してしまったのか、漂着したその日暮らしの島から脱出できなくなろうとしている。アエラの文章とトークイベントでの発言で、もう「貧乏」とか「その日暮らし」をネタに商売するしかないかと腹を括ってしまいそうな勢いだ。本当に大丈夫なのか私…。私が勝手に腹を括ったところで誰も損をしないんだから、腹を括ったままミイラ化しかねないぞ…なんて、想像したくも無い。


これまで20数年続けて来たテレビのディレクターや構成作家の仕事はもう1年ほどやっていない。いくらテレビの世界も凋落傾向にあるとはいえ、テレビの仕事を続けている方が金銭的には今よりは百倍千倍マシだ。そのくらいお金が無いのだから、やはりそっちで稼ぐべきだとも思う。しかし、去年秋、レギュラーの担当番組が終了以降、知己のスタッフと共に作った企画はどれも実現することなく、しばらくただ働きが続いたことで疲れた。経費も使え、毎月の給料が保証されている会社員のプロデューサーやディレクターと打合せしながら、ただ働きになるかもしれない私だけが資料を自腹で買ってるとかいうことが、余裕のない時には余計に刺さった。フリーなんだからそんなこと当たり前なのだが、7年前に報道のディレクターを辞め、たまたま誘いがあって、渡りに船となんとなく構成作家となった私は、フリーの自覚に乏しいままで仕事していた。自業自得である。ただ、ひとつ自己弁護しておくと、頼まれた仕事は一生懸命こなしていたつもりだし、一部の人々にはある程度信頼してもらえていたのではないかと思う。でも、頼まれた仕事をこなせるだけでやれるほどフリーの世界は甘く無い。スキル以外のものも必要だ。

一時は情報報道番組付きの構成作家をやれないかと営業することも考えた。かつては報道番組のディレクターをやっていたからだ。ある作家の事務所を紹介してもらったが、作家としての実績の少ない50女にすぐに仕事の紹介があるわけもなく、かつてディレクター時代に一緒に組んでいた年下の作家のアシスタントみたいな形でとか言われ(結局そういう仕事さえも話はこなかったが)、この5年間で2時間特番の構成ナレーションも1人で担当したのに、情報番組の数分のVTRの仕事でもアシスタント扱いかあと思ったら、もうそれ以上、お願いする気力がなくなった。そんな見栄は捨てねばと思ったが、テレビで「北朝鮮のミサイルでJアラートが!」とかやっているのを見ると、こういう切り口は違うだろうともめているかつて報道番組でディレクターをやっていたときの怖い顔した自分の姿が浮かび、どうしてもそれ以上営業することができなかった。

ならば、もっといろんな制作会社につてを辿って営業するべきなのだが、どうしても、考えが合うか分からない初対面の人と仕事して、またストレスを抱えてがん細胞が増殖したらどうしようという思いが頭をもたげる。テレビは好きだけれど、なぜかこの業界の空気に染まり切れない疎外感をずっと感じて来た。そんな思いは多分、相手にも伝わって間に壁が生まれたのだろう。今思えば、テレビの世界で私はずっと独り言を言っていたような気がする。そんなんでよくやって来れたと思う。そんなだから、この歳で、がんという荷物を抱え、新たな場所に行くことはプレッシャーだった。やりたく無い仕事をやらない理由を「がん」のせいにしていた気もするし、やはりそういう思いががんを再発させた気もするし、複雑に絡み合ったいろんな思いがいよいよテレビの世界を遠ざけた。

出した企画が通らなかったのには、私の実力不足の上に気力不足があったと思う。
一から資料を調べて、通るかどうかも分からない企画書を作る。本気で、必死でやれたかと問われたら、自信を持ってイエスと言えない。どこかで、もう仕事したく無い、パソコンに向かいたく無いという思いがくすぶっていた。しかし、生きるお金を稼ぐために何かやらなくては…そういう思いだけで、自分の興味を掘り起こし、面白がってやろうと努力していた。もう一練りも二練りもできるであろうことは自分でも薄々感じていた。だから、あるとき続かなくなった。

3年前、乳がんが再発していると言われ、ずっと緊張状態が続いていた。再発を宣告された頃はちょうど一時的に仕事が減っていた時期で(その後復活したが)、かつ貯金もなく、副作用のない治療をお金をかけずにやって、普通に働ける体力を保つということが命題となった。そのために情報を調べまくり、厳密な食養生を続け、独自の養生法を実践し、標準治療を拒んで大丈夫なのかの不安と戦い、かつ金銭の心配もしながら、時には徹夜の仕事もこなしながらやってきた。そして、幸いなことに今も普通にというか、こんな無茶をしながら生きていられる。表面ではがん再発にも負けず、悲観的になることもなく、なんとかうまいことやって来れたと思っていたのだけれど、ふと訪れる不安感や、無理をするとがん細胞が増えるのではという恐怖やプレッシャーで、知らず知らずのうちに疲れがたまっていたのだと思う。このあたりのことはまたあらためて詳しく書きたいと思うが、これだけ「がん」が恐れられ、注目される世の中で、それを忘れることはなかなかに難しいのだ。

そんな精神状態の中、通らないテレビの企画の連続に、これ以上このフィールドで闘うことが得策かという思いが頭をもたげ、そうなると、もうデスクトップの「企画書」というフォルダさえ開けず、頭は他の方向に向かった。

しかし、その時点ではまだ隣町珈琲のアルバイトを始めるなどとは思ってもみなかった。テレビからちょっと離れてやってみたのは、以前から細々とやっている「火鉢クラブ」の活動に今一度力を入れること。でもまあ、これは今考えても無謀である。暮らせるほどのお金になるわけがない。SNSなどもっとまめに発信していれば、活動費を募るクラウドファンディングくらいは達成したのかもしれないが、やはり根が怠け者なのである。どういう発信をすればいいかはある程度考えれば分かるのだが、つい忘れ、最もいいタイミングを外してしまう。その他の広報戦略もなかなか噛み合わない。それに時期が悪い。夏に火鉢って言われてもなあ…。そんなこんなで、準備に結構な時間をかけたクラウドファンディングも未達成。またただ働きとなってしまった。あらたにリニューアルして作った冊子「空飛ぶ火鉢VOL.1」も資金がないため、イラスト以外全て自分で作業したが、やはり1人では限界があり、内容もまとまりのない、分かりづらい冊子となってしまい、よって、あまり売れず、これもただ働きどころか印刷代など赤字である。

知人がリサーチなどの仕事を回してくれたりして、なんとか生活していたが、先々どうする…、テレビの宙ぶらりんの企画書もまた進めねば…と思っていた頃、再会したのが隣町珈琲だった(かつて一度行ったことはあったが、その後1年以上行っていなかった。詳しい経緯はこちらをhttps://hibachibartonarimachi.blogspot.jp/2017/10/blog-post_15.html)。お金が減る一方で、週1のバイトやらないかと言われて、わずかな収入でもやらない手はなかった。それに、これまでやったことのない仕事をやってみるのもいいかもしれないと思った。

そして、そこからわずか3ヶ月ほどの間に、バーのママに至るわけだが、それに至った背景には、昨今「無職」「働かないで食ってく」的なタイトルの本が本屋の棚にやたら並んでいる「無職ブーム」というか「その日暮らしブーム」みたいな状況もある。

あるとき、栗原康という人の書いた「はたらかないで、たらふく食べたい」という本のタイトルを平川さんがいいね!とやたら面白がっていた。私はキャリアパスとか関係ない世界で生きたいし、はたらかないで生きて行けるなら儲けもんとも思っている。でも、できるならコムデギャルソンの服だって買いたいし、ハワイにも行きたい(これはからだを休める意味もありますが)。住めるならいい感じの日本家屋に住みたいし、いい道具もほしい。気分が上がることっていうのはたまにでいいからできたらと思っている。

「はたらかないで」というのはまったくグーたらしてるということでもなく、「嫌なことはしないで」くらいの意味のようだが、東京で家賃払いながら、親の面倒も見てそれは可能なのか…。栗原さんのように実家暮らしで「はたらかないで…」と言ってるうちに本を出せるようになった人たちに地方出身で親のローンも払っている私は挑戦してみたくなってしまった。これはヤバい考えが浮かんだものだ。地獄の窯の蓋が開いてしまった・・・

また次回。


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