隣町珈琲と近くの古民家(前編)〜目に見えないものを信じるということ


今日は昼間の隣町珈琲でのエピソードを書こうと思います。

隣町珈琲のすぐ近く、商店街のいちばん端っこの角地に、シャッターの閉まった二階建ての日本家屋がある。もともとはお茶屋さん。もう10年以上前にお店は閉め、1年前そこに住んでいたおばあちゃんが亡くなってからは空き家になっていたようだ。

そのお茶屋さんがGW明けの7日から取り壊しにかかるという話が耳に入ったのは4月も終わりに近づいた頃。その少し前から、閉まった店の脇に急須やら湯のみやら茶箱やら、お茶屋さんの在庫処分が始まっていて、ちかいうちに何か動きがあるのだろうという気配はしていたが、いよいよ「解体工事のお知らせ」という貼り紙を見るとやるせない気持ちになった。

隣町珈琲ではここ数ヶ月の間、この使われていない古民家を借りてお店を移転できないものかという話が、多少の浮き沈みはありながらも、スタッフや常連さんの間で常に交わされてきた。

商店街の端をさらに折れた通りは人通りもまばらで、隣町珈琲はまだまだ地元への認知度が低い。イベントをやるには手狭。折角たくさんの人を呼べるゲストに来てもらっても入れる人数は限られる。去年の冬にこども食堂をはじめたこともあり、寺子屋をやりたいという話もある。店主の平川さん自ら座学をやるとも言っている。そうしたいろいろなニーズに、あの間口3間2階建ての日本家屋なら答えてくれそうだった。

しかし、亡くなったおばあちゃんの2人の娘さんはどちらもこの辺りには住んでおらず、たまに、家の整理にやってくるだけらしい。シャッターはずっと閉まりっぱなし、よほど運が良くないと彼女らには出会えない。平川さんは現在お世話になっている不動産屋さんにも聞いたみたそうだが、何も情報はなく、考えてみれば、自分の店子が出て行くかもしれない話に不動産屋が真面目に答えるはずがない。

ここ半年、お茶屋だったというその店のシャッターの向こうを勝手に想像しては、新しい隣町珈琲を思い描いていた。3間の間口はすべて開け放って縁台を置きたい。片方の外壁は白っぽい壁で、街の掲示板にもなるし、映像を映写することだってできるかもしれない。店の土間の奥には多分座敷があって、それは私が理想とするテーブル席と座敷を兼ね備えた火鉢カフェの形だ。2階もまあまあ広そうだ。平川さんの座学にも、こどもの寺子屋にも十分・・・などなど。

去年の年末だったか今年のはじめだったか、常連さんたちと移転の話が盛り上がり、閉店後に店長(平川さんは店主、店長は別に)と常連さん何人かでこの古民家を見上げ、「絶対ここいいよ!」と希望に胸を膨らませたこともあった。何かがこみ上げてくるような、未来に繋がる道が見えるような瞬間があった。人生崖っぷちが常態化している私にとって、久しぶりに感じた「希望」。

けれどその後、私たちは積極的にその家の持ち主である娘さんたちを探し、連絡を取ることはしなかった。近隣のお店で、あそこの古民家に興味があるというような話はしていたけれども、結局、お茶屋の娘さんたちにつながることはなく、それ以上は積極的に動こうとはしなかった。

私はといえば、今年に入ってさらに経済状況は逼迫。2月以降の私にはまったく余裕がなく、いつもカリカリして愚痴ったり、ネガティブ思考に陥って、周りを閉口させることが増え始めた。平川さんの体調も、風邪が長引いたり、めまいがしたりと思わしくない。店長もそんな平川さんを前に、体力を消耗しそうな面倒な話をもちかけることもできないようだった。

「娘さん二人があの家を相続してるなら、多分、売って財産分与するんだろう…。」
「リフォーム資金はクラウドファンディングでもしないと無理だし、
 果たして集まるのか…。」
「こういう問題には町会もうるさそうだ。町会との付き合いもあまりないしね…。」
「みんな大変な今は、そんな新しいことやってる場合じゃないだろう。」

常連さんたちも、さすがに自分の生活さえ危うい私の背中は押してはくれない。平川さんの体調も心配だ。会話はいつも後ろ向きな話ばかりで、気持ちは徐々に移転をあきらめる方向に傾いていった。当然である。経済的に全く余力のないものが無謀な挑戦をして、失敗したら目も当てられない。この隣町珈琲を大切に思ってくれている人の居場所を奪うことになってしまうのだ。

私のような崖っぷちがで夢を見てはいけない。それはもう少し余裕が出来てからの話だ。そう思って、まずは今居るこの店をどううまく使いこなせるかを考えることにした。
思いついたのは2階の事務所スペースに畳を敷いて、長火鉢を置き、小さな座学のできるスペースを作ること。この畳のスペースは小さなスタジオとしても使えるかもしれない。妥協の産物ではあったが、ここから何かが始まりそうな気がした。平川さんも自宅にあった火鉢や鉄瓶をこのスペースに持ち込んで、毎日嬉しそうに畳に座って作業している。初夏にはここで何か新しいことをぎスタートさせる。それが目標となった。

GW初日。昭和の日。古民家の取り壊しまであと1週間あまりという日。その日も、お茶屋の外には在庫処分の品物が並んでいた。並べても並べても、家の奥から次々と魔法のポケットのように古いものが出てくる。家というものは歴史を紡げば紡ぐほどブラックホールのような場所が増えていく。昔の家によくあった「開かずの間」は、そんな底の見えない家の歴史のブラックホールみたいなものなのかもしれない。

在庫処分のかわいらしい急須を手に取りながら、私は家の中を見せてもらいたくなった。ちょうど、その時、娘さんのうちの一人が外に出てきて、「茶箱なら大きいのもありますから…」と声をかけてくれたのをいいことに、「じゃあ、見せてもらってもいいですか?」と玄関先まで入っていく。

玄関には高さ2尺ほどの小上がりがあって、ちょっと腰掛けて世間話ができる。中に上がりこまずとも、境界でくつろげる日本の家の特徴だ。

「あー、こういうのいいですね。このお家前から気になっていて、ここで喫茶店とかできたらいいなと、実は狙ってたんです。」

実際に目にした建物の中身は壊すには勿体なさすぎて、思わず、隣町珈琲がこのお茶屋への移転を考え、いろんなプランを妄想していたことが言葉になって口から溢れ出した。

そして、それを聞いた娘さんたちの口から返ってきたのは意外な言葉だった。

「もう少し早くそれを言ってくださってれば。本当はこの家、壊したくないんです。喫茶店か何かにしたらいいのにって思ったけど、リフォームするお金もないし・・・。」

彼女たちは古民家再生の助成金がとれないかと区役所もたずねたそうである。しかし、そんな制度はないと一蹴された。壊したくないなら貸せばいいと思うが、多分、不動産屋に相談しても、リフォームしないと賃貸には出せないと言われるのだろう。それにはそれなりの資金が必要。諦めざるをえなかったようだ。

その話を聞いて私は愕然とした。本当なら私たちは相思相愛だったのだ。
お互いにもう一歩踏み込んで、積極的に動いていれば、どこかの時点で出会えて、今頃は楽しく、この古民家のリフォームに勤しんでいたかもしれない…。
脱力する、肩の力を落とす、うなだれる、がっかりする、落ち込んでることを表すすべての言葉が頭の中から湧き出して、次の言葉が出なかった。


彼女たちの家の話を聞いた人の9割は「売るんでしょ?」と言ったそうだ。
そういえば、隣町珈琲でこのお茶屋さんの噂をしている時も9割の人が「売るんだろうね」と言っていた気がする。それが今の日本の常識なのだろう。ましてや、時、東京オリンピックを前に、今が不動産価格のピークと聞く。多くの人が「売るんだろうね」と言っていたとしても無理はない。

そして、この私自身も「売るんだろうね…」とどこかで思っていた。

私がもしこのお茶屋の持ち主だったとしたら、売りたくはない。私も「売らない1割」の側の人間だ。なのに、そんな私がこの家の持ち主も「売っちゃう人」だろうと勝手に思い込んでいた。世間の常識に流されて、ここの持ち主が「売りたくない1割」である可能性を信じていなかったのだ。

まだ会ったこともない人だけれど、そんな将来出会うべき相手のことを信じられなかった。
それがいい形で出会えなかった理由なのかもしれない。そう思った。

私たちはまだ見ぬものに対して、勝手な想像を巡らす。物事に過度な期待をしてあとでがっかりしないために、その想像は否定的なものになることも多い。しかし、まだ見ぬ相手に対して否定的な想像をすることの不遜さというのは、こうして出会って初めて気づく。
自分が創り上げた手前勝手な相手の像に惑わされ、怖気づいたり、諦めたり。それこそが自分の臆病さの現れかもしれない。

人は人に対して、好きであればあるほど疑心暗鬼になり、その行動を疑い、言葉や表情の裏にある見えないものを信じられなくなる。そして、その信じられないほころびが徐々にその関係を破綻に導く。逆を言えば、言葉や表情の裏にある目に見えないものをいかに信じられるかが、その関係性を育てる鍵だ。

だからこそ、今回のこの出来事はまるで恋愛のように切なくて、玄関先で初めて出会った娘さん2人を前に、私は涙をこらえるのに必死だった。

あの冬の星の輝く夜、この古いお茶屋を見上げながら希望に胸が膨らんだのは、もしかしたら呼ばれていたかもしれない。そんなオカルトめいたことを思うほど、このときのショックと脱力感は大きかった。

「ハンコつく前に言ってくれてればねえ・・・。」

家の取り壊しはもう1週間後。壊した後は駐車場になる契約。土地を売れば大きな収入にはなるが、売りたくはない。固定資産税を払うために駐車場にするが、駐車場の収入で税金を払ったら残りは微々たるものだそうだ。

語る娘さんたちの目もちょっと潤んでいた。
私がこんな話をしたことで、せっかく断ち切った古い家への思いが再びこみ上げてきてしまったかもしれない。なんということなのだ・・・。

ちょっとタイミングが違えば、どこかでもう一歩積極的に踏み出していたら、お互い相思相愛、幸せになっていたかもしれない。なのに、自分が一歩踏み出さなかったことで、こういう結果になっている。また、私が今日ここを訪ね、話しかけなどしなければ、お互いの存在を知ることもなく、こういう脱力感を感じることもなかったはずだ。

「もう今からなんとかならないですよね。」
「もう難しいねえ。これも縁というか、縁がなかったというか・・・。」

これほど「縁がなかった」という言葉が刺さったことはない。

しかし、このあと、この出会いをきっかけに、新たな縁が生まれることになったのだ。

後編に続く
*新たな縁とは解体工事を止めるものではないです。解体は予定通り7日開始で予定されております。





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