貧乏するにも体力がいる〜徒然つづったら朝になってしまった

今日で11月も終わり。今月は14日もバーを営業した。週休2日の仕事で出勤が月22日ほどだから、14日に週1の昼間の喫茶バイトをいれると、ほぼフルに働いているに近いことになる。なのに、収入は時給1000円のバイトにも満たない。やばい。

18時〜22時の営業とはいっても、準備と片付けに1、5時間ずつかけてることを考えると7時間。買い物も入れたら8時間労働ではないか。それで終電乗り越したり、睡眠時間が短くなったりしていては本末転倒。収入が少ない精神的ストレスも加わって、かえって身体に悪い。実際に疲れている。それゆえ、このブログもなかなか更新できていないのだ。なんとなく、脇の下で細ーくなって存在を消しかけていたしこりが少し丸く大きくなっている気がするぞ・・・。

貧乏するというのは体力がいるのである。
そろそろこの貧乏も終わりにせねばならない。もちろん好きでやっているわけではないから、貧乏やめる!と宣言してやめられるものではないが、貧乏でもいいから気楽でいたいなどと思っていると、貧乏をこじらせて、逆に気楽でいられなくなってしまう気もするし、やめる!と宣言した途端に貧乏神が去って行きそうな気もしないでもないし。

ところで、先日、貧乏を突きつけられ、免疫力を削がれる出来事があった。
がんが再発してから、治療費やらいろんなお金がかかる上、住宅ローンもあったため、国民年金保険料の支払いはどうしても後回しになり、猶予してもらっていたのだが、いよいよ払えとなって来た。年金の滞納があるとか胸を張って言える話ではないし、なけなしのお金を冊子作りやら写真展やらに使って(といっても写真展は5、6万円くらいしかかかってませんが)、結局元が取れなくて、年金を払うお金まで手が回らなかったのは自業自得であり、世の中には夢を追うようなことをしないで、ギリギリの生活をしても義務を果たしている人がたくさんいることを考えれば、私はダメ人間の烙印を押されてもしょうがない。しかし、がん再発と言われた時点でいつ死ぬかも分からない命、そもそも2009年に年金は税金でといっていた民主党政権に期待し支持したわけであるから、こんなときくらいアナーキストとなって、最後の賭けにでさせてもらってもいいよね…という思いがどっかにあった。もちろん、お金ができたら払うつもりだが。今、一番ない時に言ってくるなんて免疫力下がりまくりで、胸がちくりとし始めた(ちなみに陰陽五行的には貧乏は肺に影響あるらしい)。

ここ1年、どうにもこうにもやることなすことうまくいかず、崖っぷちといいながら火事場のバカ力も出ず、なかなか経済が立ち直らない。そこで、さらに待ってもらうか分割での支払いをお願いできないかと最寄りの年金事務所に問い合わせた。すると、これは最終通告なので、全額まとめて払わないと財産調査、差し押さえだという。また、すでに権限は国に移り、地域の年金事務所ではもろもろ判断はできないので、うちに相談されても意味がないとのこと。じゃあどこに相談すればいいんでしょうかと聞くと、国の窓口はおしえてくれない。最終通告なので、もう相談はできませんということだった。

以前、相談をした時に、処分を免れるために今後は引き落としとなるよう口座の手続きをしてくれと言われ、そこから当月分と滞納分1ヶ月分づつ2ヶ月分を引き落とすという話で、2、3ヶ月前に口座の手続きはやっていたのであるが、その口座に今回残高がなかったのと、どうも、その申込書で作れた口座は当月分の保険料を引き落とすだけのもののようで、滞納分も払うようにはなっていないようなのである。そういわれれば、送られて来た口座の申込書には過去の滞納分も一緒に払うような選択肢はなかった気がするが、そこらへんは確認せずに口座だけ申し込んだのだった。

それで、全額一括で払えないともはや処分は免れませんという通告が来たわけだ。
今の私の状況ではさすがに一括では払えない。そこで、その文書を送って来た地域の年金事務所に相談の電話したのだった。

「財産調査と言っても、今は口座にお金も無いし、差し押さえるものといったら、ローンの残ってる実家くらいしかないです。それを売って払えってことですかね?」と聞くと、それは国の担当者の管轄だからわからない。説明する類いのものではないという。通常、お金があるのに払ってないという前提でくるから、説明すると、逃げると思われているようだ。

「財産調査っていうのは、私がかつてギャラをもらっていた会社とかに収入のあてがないか調べを入れるとか、家にきて、売れそうなものがあったら差し押さえの札を貼るってことですかね?その場合、来る時は連絡もらえるんですかね?」と聞くと、いつとかは言えないという。これも、いつ行くか伝えると財産を隠すと思っている。

「でも、売るものなんて、洋服が少しあるくらいでそれ売ったって全額は払えないですよ。貴金属なんてなんももってないし、本当に金目のものはない。売っても二束三文。それでも、踏み込みますか? 脱税の査察みたいに突然踏み込んでくるってこともあるんですか?」とわざと極端な言い方で聞いてみたのだが、なんとおそろしいことに、年金は現在、税金と同じ扱いなので、そういうこともあるかもしれないとの回答。基本的に滞納者は嘘をついているという前提で対応してくるようで、ほとんど犯罪者(脱税)扱いだ。

「がん再発して、仕事減って、でもローンはあって…そういう時でも待ってくれないんですかね?」と聞くと、事情は分かるけど、事情ある人はいっぱいいる。それでもみんな払ってる。前年度の所得が300万以上ある人には払ってもらうことになっている。300万円以上あったからご連絡してるんです…の一点張り。でもそれって前年度の話で、今年(次の申告)は、経費を引いて控除すると課税所得はマイナスだ。前年は治療もろもろ(標準治療じゃないので全額自己負担です)でそんなお金は自転車操業的に使い果たしている。だから今は治療的なこともほとんどしていない状態だ(よく寝ることと身体を温めることが唯一の治療のようなものだが、それさえままならない。そのへんのことはまたあらためて)。

東京に住んでいて、所得たった300万でどんな事情があっても年金強制徴収される…。年金事務所とのやりとりで、年間所得300万が裕福扱いされるという事実に愕然とした。例えば、私が標準的ながん再発の抗がん剤治療を続けていたとしたら、多分、それだけで月に高額医療費内いっぱい7万数千円かかるだろうから、年間所得300万ではローンがなくとも生活はギリギリだ。なのに、300万もあるくせに年金払わない極悪人はどんな事情があろうと許さねえ!とばかりに強制徴収である。聞けば、今年2017年度から年金のとり立てを厳しくするよう制度が変わり、所得の上限が下がって300万となったようだ。

もちろん何の事情もなければ、手取り月25万あれば、17000円の年金保険料は払えると思うが、事情が有る無しは置いといて、年間所得300万円で余裕があると見なされ、事情が考慮されないということに驚いた。そんな日本ってどうなんだ・・・。やはり、この国はもはや経済大国とは言えない。格差社会はどんどん拡大しつつあり、その格差がいびつな形にゆがんでいる貧者が富者を支える国だ。格差の上澄みの人々には税金や年金による恩恵がふんだんにもたらされ、そのための税収や保険料が足りないと、貧乏人からのとり立てを厳しくする。昔の封建社会となんら変わっていないではないか。

年金は老後の積みたてではなく、今の若者が今のお年寄りを支えるための資金だということが近年強調されるようになったが、かつては自分の老後のための積みたてというイメージもかなり強かったと思う。もちろん、昔から制度的には積み立てではないのだろうが、そういうイメージをもたされていたのは、国民が保険料を進んで払うようにするための操作だったのかもしれない。時代が進んで、どうせもらえないなら払わないという人が増えてきて、年金は自分のための積み立てではないという事実がより強調され始めた気がする。貧乏な若者が払った保険料で富裕層の老人にも年金が払われるのが空しい。

日本の年金資金は近年の日本の株価を買い支えているといわれる。アメリカ債券での運用も増やし、アメリカをも救っている。まさに株を持っているお金持ちのための年金資金である。その上、今の年金制度はシステム的にすでに破綻しているといわれていて、私が高齢者となる頃にはどれだけ年金をもらえるかもわからない。保険料を払う理由があるとすれば、現在、年金なしでは生活できない高齢者のためだけだ。

滞納しているものが偉そうなことは言えないし、払っている方には申し訳ないと思うが、言うくらい言わせてよとも思う。年金事務所の係員も電話口で「事情があっても払っている人もいる」と言ったように、いろんな事情を抱えながらもなけなしの収入の中から年金を払い、爪に火を灯すようにつましく暮らしている人たちは多分思っているよりたくさんいる。そういう人たちこそ真面目で、私のように文句も言えず、日々悩みながら暮らしているに違いない。しかし、そこで自分より苦しい人がいるんだから自分ももっと我慢しなければ…となったら世の中はもっと閉塞して行く気がするし、そういう人たちに対する風当たりが今これだけ厳しくなっているということは私みたいなバカものが言わないと伝わらない気もするのだ。もちろん、事情もないのに払ってない人もいるのだから、年金機構の現場の人には同情するが、それにしても、現在の年金のシステムはもう見直さねばならないと思う。

年金を踏み倒すと言っているわけではない。ただ、それだけまとまったお金を稼ぐ確実な術がまだ見つかっていない。それに、それなりに収入の多かった年度の税金もがん再発後に支払いが来たものは、遅れ遅れで分割で支払っているため、やはりどこかでまとまったお金を作らないと将来は厳しい。

多分、選択の余地はない。地道にやっていたのでは追っ付かない。ガンの体験を利用するでもなんでもお金を作らないと生き延びれないかもしれない。しかし、そういう切羽詰まった感情も幻想なのかもしれない。もっと穏やかに着地する方法があるかもしれない。崖っぷちの人はみんなどうしているんだろう・・・。

テレビの仕事しかしたことのない資格もない50歳の私が、がん対策+ローン+滞納金などがある現在、必要な額を毎月コンスタントに稼げるようにするには、ほぼテレビに戻るしかない。それ以外の定職では、収入が足りなくて職を掛け持ちしたり、身体にとってかなり厳しい状況を強いられる。

それで、一発当てるしかないという無謀な挑戦をギリギリまでやってきたが、冷静に考えたら、やってきたことは当たりそうもないことばかりだし、今回の隣町珈琲で始めさせてもらったバーも、もっと突拍子もない集客方法でお客を呼ぼうとしていたのに、無謀な(面白い)ことなど全くやれないまま今に至る。私のガン体験などを絡めて綴ることで、このブログももう少し話題にするつもりだったが、開始から2ヶ月、まだ内容は核心に至らず、どうも鳴かず飛ばずである。

いかん・・・。

しかし、実力が伴わない限り、たとえばメディアにとりあげられても、それはそれだけの一時的なものに終わってしまうことはこれまでの経験で嫌というほど実感させられている。しかし、もはや水面下で実力を磨くという時期は過ぎ、そんなことやってる猶予はない。こうして、日々バーをやり、時々ブログを書き、遅すぎた決断を後悔し、でも生きるしかなく、こうしてずっと迷い続けている。なんだか文章が深刻な顔つきになって来てしまった。いかん・・・迷っていたらもう朝だ。
こんなことしていたら、がん再発というのも嘘だろうと思われてしまう…。

(ここで一旦寝ました)
今朝、難治ガンで闘病中の記者の「書かずに死ねるか」という言葉をTwitterでみかけた。世間の常識に背中を向け、運を天に任せて生きている私は「書かずに死ねるか」というより、「生きるのびるために書く」言い換えると「書くことでお金にならないかなあ」とヤクザなことを思っている。でも、書けば書くほど、文章の下手さがあからさまになる。こころの奥底にある本当の思いはまだ自分にも分からず、いかに人は正直になれないかということに直面している。いや、正直より以前に、自分の思いなど日々揺れていて掴めないのだ。自分は本当はどう生きたいのか、何がしたいのか。年金払わないことをこんなところに書いて、石を投げられたとしても全うしたい自分の未来とは何なのか?

でも、そこまで「生きる」ことを考えようと思ったのはやはり「がん再発」があったからで、死に向き合うことがなければ、生きる前提にはまず「世間体」があって、実は人一倍臆病な私はずっとその世間体にしばられていたからこそ、病気になったのだ。

今日の昼ドラ「トットちゃん」のナレーション(微妙に文言違うと思いますが)。倒れた黒柳徹子は病院の先生からこういわれる。

「嫌だと思う仕事はやらないことです。そしたら病気なんかになりませんよ。」徹子はそれ以来、嫌な仕事はやりませんでした。そして二度と病気になることはありませんでした。

私がこの3年間で実感したこともまさにこれで、かといって「嫌だと思う仕事」というのがどういうものかもよく分からない。ただ、今いる場所は気持ちが楽だ。常に闘っているような気持ちで、いい仕事をしないとバカにされると思ってがんばっていたかつての自分と今の自分は違うと感じている。

しかし、そこにまだお金はついてきていない。
今やっていることは仕事じゃないのか、遊びだからお金にならないのか…。でも、遊びはお金になっちゃダメなのか?50年かかっても私はそこらへんが分からないままお金というものと全くもって縁がない(崖っぷちになったのはここ1年ですが。宵越しの金はいつもなかった…)。うちの家族はみんなそんな感じだ。貧困は遺伝する。しかし、同時に非常識な崖っぷち耐性や暢気や浮世離れも遺伝していて、こうして私は生きていられる。そんな親に感謝しなくてはならない。

ああ、そんな私は何でお金を稼げばいいんだろう…。
文章書いてる時はどっかトリップしてるから忘れてるけど、もう月末、家賃もいるし胃がきりきりする。そういえば、月末には先日の火鉢クラブでの取材協力費も振り込まれてるかな…とか考える。

多分、隣町珈琲のオーナーの平川さんがつい先日脱稿した新刊は参考になるはずだ。その日暮らしの哲学が書かれているらしい。私がここに流れ着いたのも、そういうものに引き寄せられたに違いない。

テレビの世界は10月と4月が改変。先月某局に持って行った企画はまたまただめじゃないけど、微妙に予算足らずやらなんやらで宙ぶらりん。ダメ元でまた4月に向けての企画も再び書き始めている。

そして、隣町バー火鉢での新機軸。
テレビではできないニッチなトークイベントを企画したいが、どうやってギャラを捻出するか。有名人を呼ばずとも、このまえ喫茶店に来たお客さんがBGMの80年代歌謡曲やユーミンに反応し、思い出を語りたいと言っていたから、みんなでユーミンを語る会でもいい。そうだ、がん患者のサバイバルと言えば、ウーマンラッシュアワー村本と堀潤がAbemaTVでインタビューやってたけど、隣町珈琲でそんなトークやってくれんかなあ…。お手上げトークin隣町バーとか。

ガンの体験談も書き始めると言っていたが、ガンだけが問題ではないと思い、何をどう書くかを模索して1年が過ぎる。チームお手上げなんてものも作った。やろうと思うことの種はいっぱいある。あるのだが、ありすぎて、整理能力のない私の頭の中で優先順位がつけられずとっちらかっているというのが実のところかもしれない。

本当にそうなのだ、私は単に「人生をも片付けられない女」なのだ。

単なるだだ漏れ状態になってきたので、このへんでヤメときます。















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