2月9日の火鉢バーは橋本治を語る会にしたいんですが・・・がんと橋本治

 2月9日(土)にも火鉢バーをやろうと思っておりますが、この日は「橋本治について語ろうバー」にできたら、なんて思っております。
 2月5日、筑摩書房から橋本治がPR誌「ちくま」に連載していた50数回の随筆をまとめた新書「思いつきで世界は進む」が発売されるそうなので、私はそれを読んでお客様をお待ちしようかなと思ったりしてます。実はその随筆、WEBちくまに既に転載されているので、本を買わずとも今からでも読めます。
 橋本治は免疫系の難病にかかったとカムアウトしていましたが、いつのまにか上顎洞ガンも患い、この随筆の最後の数編はがんの病の床からのものでした。過去へも未来へも自由自在で、なんでも分かってしまう、見えてしまう橋本治という人が、がんについては考える前に逝ってしまった。現在、乳がん再発って状態にある私にとっては橋本治もがんでなくなったということはちょっと重い事実でした。
 彼ががんというものについて書いた最後の言葉は、同様にガンの塊を持つ私がここ数年ずっと抱え続けて来た疑問と重なりました。彼が生き延びる事ができたなら、がんという現代の最大の謎をともに考える事ができたのにと口惜しくてなりません。
 「思いつきで世界は進む」の帯には「バカにバカって言っても通じないこの国で」と書かれています。今の日本を見て「だってしょーがねーよな」っていいそうな橋本治という人は、小さいけれど深いため息に混じった「バカだなあ」というつぶやきを飲み込み続けて顔の中の空洞にガンができちゃったんじゃないかと思いました。上顎洞にできた腫瘍は大きくなったら眼を圧迫して、視力を奪ったかもしれません。上顎洞がんという病名を見たとき、橋本治はもうこんな世の中、見たく無かったのかもなあ、、そう思いました。
 彼はこの随筆の中で、先のノーベル賞(オプジーボのやつです)の話に触れ「がんを治す」方法ばかりが研究されて、「人はなぜがんになるか」が解明されない…と書いています。研究者はそんなことはないというかもしれません。様々なストレスによるDNAの損傷、そして遺伝因子。でも、同じようにストレスを抱えても、遺伝因子があっても発症する人としない人がいる。そして、なぜその人がその種類のがんになるのかということはよく分からない(ピロリ菌と胃がんなどは直結しているようですが…)。一人一人を見ると、同じ癌になった人には共通点もあるけれど、違うところも多いにあるのです。
 私がここ数年ずっと抱えて続けて来た疑問とはこれです。「人はなぜがんになるのか」そして、「なぜがんはこんなにも増え続けているのか」。そして、この疑問はこう続きます。「人はどんなときにがんで”死ぬのか”」。
 私の再発したがんは、しばらくおとなしくしていましたが、このところ再び大きくなり出しています。今も普通に働き、生活し、知らない人から見たらまったく私がそういう人間だとはわからないでしょう。朝、3日に1回ほどゆっくり短距離ではありますがジョギングも始めました。しかし、病院の医師の表情などはあきらかに「死」という状況に近づいていて、私もそれを見ると、死ぬ気になってしまうときがあります。けれど、自分の身体はそれとは裏腹に生きる力が復活しかけているようにも感じられるのです。果たして私は「がんで死ぬのか?」よく分かりません。
 「人はなぜがんになるのか?」一般的なことや科学的な理屈は詳しくわかりませんが、「自分がなぜがんになったか」はずっと考え続けて来ました。どんな高額医療をやっても、がんを直すことは難しく、私にはお金もないのですから、そこから逆算して、治す方法を考えるしかありません。そんなことを言うと、あんたはアホかと言われそうですが、それが30年以上橋本治という人の本を読み続けて、私が学んだ「方法」だったりするのです。
 しかし、橋本治本人の自らのがんに対する方法は、私がやろうとしている逆算とは大きく違うものだったのだろうと想像します。肺炎で亡くなられたことや、難病になったときも、先生におまかせと書かれていましたから。
 当時は、あんなになんでも自分なりに考える人がなぜ?とも思いましたが、分かる気もしました。
 WEBちくまの随筆の中で彼は再び闘病記を書くにあたってこんなことをつぶやいています。
 「(私は「今の自分の個人的な話が、他人のなんの役に立つんだ?」と思っていて、それで自分の近況的なことはほとんど書かないんですが、今度ばかりはお見逃しを)。」
 この言葉が「先生おまかせ」の理由のような気もします。
 橋本治は、人はそれぞれ違うのだから自分のことが他人に役に立つわけがないって思っている。つまり、がんの治療法とか闘病の仕方も実は千差万別なのだけど、そんな個別具体的な差なんてたくさんの人を診る医者はいちいち考えてられないし、病気になった自分は休むべきで、専門家を超えて考えるなんてあり得ない。そういう絶望的な中にあって、医療というものはある程度の人に効く最大公約数を提供しているのだから、とりあえず、先生の言うことはやっとこうということなのかもしれません(ちょっと雑な解釈ですが・・・)。
 自分がなぜがんになったかを逆算して考え、治療を見つけようとすることなど、ある意味、知性に対する冒涜であったりします。長年研究を続けている医療者をさしおいて、素人の自分が答えを見つけようとするわけですから。そのへんきちんとしていた橋本治という知性は、だから先生にお任せだったのかもしれません。
 もちろん私だって、自分一人で治療法を見つけ出し、すべて自分でなんとか出来るなどとは思っていません。しかし、自分の身体を何の疑問も無く他人に預けることには違和感がある。どこか自分の方がわかっている気がしてしまう。だって自分の身体。ツネラレて痛いのは自分ですから。それに「自分がなぜがんになったか」ということは、これまで自分がやってきたことを全て知っている自分にしかわからないことでもあるはずなのです。歯磨きは適当とか、表向き糖質制限してると言いながらアイスクリーム食べちゃってるとか、こっそりやってることまで他人は勘定に入れられない。いくら専門家でも、ゲノムの解析が完璧になったとしても、その人が◎◎がんになった正確な原因を突き止めることはなかなかに難しい・・・。
 でも、人それぞれなんて言っていたら、医学の進歩はないですよね。科学的エビデンスというのは最大公約数的だから、人それぞれなんて言っていられない。
 でも、橋本治の最後の問いは「「がんを治す」方法ばかりが研究されて、「人はなぜがんになるか」が解明されない」でした。もちろん、「治す研究」の大元には「なぜがん(細胞)ができるのか」があるんでしょうけど、「なぜがん(細胞)ができるのか」と「なぜ人はがんになるのか」は結構違うことのような気もします(だって、がん細胞はどんな人の体内でも生まれてはいるけど、免疫力などで増えすぎないように消している。だから、がんと診断が下るということ=人ががんになるということは、がん細胞の増え方が尋常じゃないか、その増えるがん細胞を消す力が弱まっているということで、「なぜがん細胞が生まれるか」ということとはちょっと違う気がします)。
 テロの温床は貧困だと常に語られながら、解決方法として大々的に行われるのは空爆や攻撃だったりして、そのために必要な兵器ばかりが開発されて行くように、こと、がんにおいても攻撃する治療法ばかりが研究され、テロにおける貧困対策のような予防的な治療法は代替医療として、ちゃんとした研究の対象になっている事は稀なように思います。多分、そういう解決法は人それぞれで、方法を一般化する事が困難だからなんでしょう。橋本治はそれが直感で分かっていたから、自分の近況的なことは書かなかったのかもしれません。
 でも、今回「今度ばかりはお見逃しを」と書いたのはなぜなのでしょうか?
 勝手な憶測ですが、「がん」という今や社会問題ともいえる病の当事者になったことで、考えてみようと思ったのではないかと思うのです。難病のときはあまりに特殊すぎて、俺みたいな人間が珍しい病気になるのは当然だと思ったのかもしれません。しかし、がんはいまや珍しい病気ではなく、日本人の2人に1人がかかると言われる国民病で、このところ次々と有名人が亡くなっていて、それまでがんとは縁はないと思っていた自分もがんになってしまった。なんだそれ?なにかがおかしい。そう思ったに違いないのです。そしてがんに全く縁がないと思っていた自分がなぜがんになったのかということほど興味深い謎は無い。
 でも、それを解明することなく橋本治は逝ってしまった。
 私も昔は健康優良児でスポーツができて、人生の前半は病気とは縁の無い人生でした。それが36歳で乳がんと診断され、心の風景が変わりました。どうしても「死」のイメージと直結する「がん」という病(本当に直結するかは謎だが)は、なぜ自分はがんになったのか、そして、自分の人生はもしかしたら間違っていたのではないかということを人に考えさせます。
 橋本治より以前にがんを発症し、今、再発という状況にはあるけれど、まだ入院する事も無く普通の生活を送っている私。私にはまだ考える時間が残されている。長生きすることもできるかもしれない。今後私のがんがどうなっていくかはわからないけれど、橋本治の訃報にあたって思ったのは、私は「人はなぜがんになるのか」ということを考え続けて行きたいということだったりするのです。
 2月9日の火鉢バー。別にこんながんの話ばかりをしようってわけじゃありません。これまで橋本治を読んで来た方と桃尻娘でも、枕草子でも、院政の日本人でも、ひらがな日本美術史でも、青空人生相談所でも、江戸にフランス革命をでも、20世紀でもなんでも、飲みながら話ができたらと思うのです。だからこの日は食べ物の提供は軽めです。カレーだけ用意しとくというのもありますね。わからないけど。。
 おまちしています。

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